物心付いた頃から、両親は仲が悪かった。
顔を合わせるたびに口喧嘩をしていた訳ではなくて、むしろその逆で冷戦状態であった。
父は育児に積極的ではない上に、勤務形態の関係で生活リズムが合わないことが多く、
学校行事に参加するのは専ら母であった。
母の気が強く、父の気が弱いこともあって、父は完全に僕ら家族から隔離されていた。
実質家庭内別居状態であったが、それでも離婚しなかった理由は、
母の「(世間から見て)子供から幼いのに片親は可哀想」という世間体だけであった。
私と妹が大学進学で実家を出た後、やっと離婚した。
その後父は、私の知らない日時と場所で孤独死したと母から教えられた。
連絡が来たのは、葬儀などの事後処理が全てが終わった後であった。
今思い出しても、父親らしいことをしてもらった記憶は無い。
実質片親でも寂しい思いはしなかった…というか、
母は一人でも立派に育て上げるという気概から躾が厳しく、
親にほとんど甘えないで育ったと言った方が正しいかも知れない。
(金や衣食住や進学に困ったことはないので、その点はもちろん感謝している)
子供心に、明確に言語化できないまでも
「父はうちの家族に居ないようなものなんだ」
「愛し合って結婚しても、結局いつかはこうやって破局するんだ」
という恋愛に対する諦観のようなものを感じたのを覚えている。
お互いに好き合って同棲するまではいいとしよう。
(実際、そこまでならそんな相手が欲しいとは思う)
だが結婚となると個人同士ではなく家同士の付き合いとなり、
お互いの両親との仲、両親同士の仲まで考慮しなければならなくなる。
共有財産となり、自分で稼いだ金が自由に使えなくなる。
子供ができると子供中心の生活になり、家事や育児で自由時間が激減する。
それが子の独り立ちまで続く。
マイホームを建てたら、ローンでいよいよその土地から離れられなくなる。
過干渉で抑圧された反動で自由を愛する身としては、
そういったデメリットを考慮すると、とても結婚したいとは思えない。
前述の両親からのイメージの悪さも相まって。
「結婚とは勢い」と評されるのは強ち間違っていないかも知れない。
仮に万が一子供ができたとして、私すら不出来なのに立派に育てきる自信も無い。
昔の記事でVRCのパートナーという文化を散々酷評した気がするが、
こういう現実的なことを考えてしまう人にとっては、
愛情(のようなもの)だけを享受できるそれは
合理的な判断なのではないかと思うようになった。
「現実ではないから無価値」ではなく、
「現実であって欲しくないから仮想空間で」ということだろうか。