Noihの日記

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お巡りさんになってみた話

俺の職歴は前の記事の通り、滅茶苦茶だ。

(プログラマ→農家→農家→警察官)

生涯一度も転職しない人は今や居ないと思うが、仮に転職しても同じ業界の別の会社に行くのが普通だ。

そんな中で、俺は真逆のベクトルの業界に行ってみたり、公務員になってみたりした訳だ。

人によっては「転石苔を生じず」「落ち着きがない」と感じるかも知れないが、俺はこの選択に後悔は無い。

趣味と同じように、仕事も広く浅くの方が視点が広がるんじゃないかな。

狭く深く(専門化)だと、抜け出したいのに抜け出せなくなりそうだし。

 

警察官になったのは、実は自分の思いつきではない。

当時俺は31歳で、「30歳以上の公務員の募集はないだろう」とさえ思っていたし、ましてや昔から警察官に憧れていた訳でもない。

それなのに応募するきっかけになったのは、農家時代にお世話になった方(住んでいた市の農業支援課の担当の方)のお誘いだ。

(今となってはそれも無碍にしてしまって申し訳ないが)

「君何歳だっけ?32歳以下なら募集してるよ」

団塊の世代の大量退職とやらで人手不足になり、年齢上限を上げたんだとか。

 

当時知り合いの農家の手伝い(アルバイト)をしていた俺は、安定収入の代名詞である公務員に飛びついた訳だ。

別にそのアルバイトが嫌になった訳ではないし、そこの職場の人も俺の合格を祝ってくれたから、円満に転職できた方だ。

 

某県の警察官採用試験は、(自分が感じた限りでは)はっきり言って簡単であった。

筆記試験→小論文→一次面接→体力試験→二次面接

の3段階しかないのだが、筆記試験は民間企業のSPIに近いもので、専門的な知識を要求するものではなかった。

5教科を広く浅くといった感じ。

マニアックすぎて分からない問題も多々あったが、ここで落とされたことはない。

(実は2回受けていて、2回目に合格した。1度目は一次面接で落とされた。)

小論文は文字数上限ギリギリまで埋めればいい…と言ったら語弊があるが、「主張が一貫していてその説明がそれっぽかったらOKなんじゃないかな」と感じた。

一次面接・二次面接ともに多対多で行われた気がする。

民間の圧迫面接のような息苦しさはなく、むしろ終始和やか(時には笑いが起こることもあった)で、もちろん緊張はするものの自分の意見を述べやすい雰囲気であった。

 

体力試験とは、学生の頃に行う体力テストのようなものである。

体力「試験」とは言っても、加点にはなれど減点はされないので、これで落とされることはない(と説明された)。

ただでさえ歳の差で負け(大学新卒の人は最低22歳な訳で、10歳近い差がある)、運動部に所属していた訳でもない俺は、これによる加点には全く期待していなかった。

余談だが、ここで人生初めてシャトルランというものを経験した。

しんどいねアレ。

70ぐらいでリタイアした気がするが、110行ってもピンピンしてた奴は化け物か…

 

めでたく合格すると、県警本部の近くにある警察学校に入学することになる。

全寮制なので、入学前にいろいろと準備をしなければならない。

まず必要なのは、普通自動二輪免許だ。

警察学校を卒業してすぐに普自ニが必要になるようなバイクに乗ることはないが、なぜか入学前に取っておくように言われた。自腹で。

18万ぐらいしたかな…なかなか痛かった。久しぶりの教習所は楽しかったが。

もう一つ必要なのが、給与振り込み用の特殊な口座の開設だ。

実は、警察学校に入学した日から身分としては巡査になり、給料を貰いながら勉強する身分になるのだ。

 

公務員=体育会系のイメージがあって、警察学校での生活は相当に辛いものだと覚悟していたが、思っていたよりは楽しいものであった。

警察庁のHPに書いてある(≒機密情報ではなさそう)のでここで言ってしまうが、入学すると、

大卒の場合

6ヶ月入校→卒業→現場で3ヶ月勉強→2ヶ月再入校→再卒業→また現場で3ヶ月勉強→独り立ち

高卒の場合

10ヶ月入校→卒業→現場で3ヶ月勉強→3ヶ月再入校→再卒業→また現場で3ヶ月勉強→独り立ち

というカリキュラムになる。

ちなみに休日は土日祝しかなく、寮を出られるのも土日祝だけである。

座学の授業の教官は皆経験豊かで、話し上手で、ユーモアがあって、生徒の気持ちをよく分かってくれている方ばかりであった。

体術の授業はなかなかに過酷であった。(教官はやっぱり脳筋)

最初の逮捕術の授業の後に、気持ち悪くて昼食をほとんど食べられなかったことを今でも覚えている。

あまりに疲れると食欲ってなくなるんやな、って。

 

同時期に入校した生徒達をまとめる代表的な役があり、毎期の最年長の人がそれを務める習わしらしいのだが、俺が入校した期は合格者が多かったため2つの組に分けられ、俺は2組の代表を拝命した。

この代表のことを「総代(そうだい)」と呼ぶ。

1組の総代=1組メンバーにとっての総代、期としての総代(行事で目立つヤツ)

2組の総代=2組メンバーにとっての総代、期としての副総代

という若干ややこしい立場であった。

 

総代としての仕事はなかなかに大儀であった。

連絡事項は基本的に俺にだけ伝えられるし、同期が失敗をした責任を追う名目で一緒に叱られたりもした。

同期の大半は大卒直後であり、社会人を経験したことがないので社会常識というものを持っていなかった。

彼らは自分が責任を負う訳でもないタスクの期限に無頓着すぎた。

その上歳も世代も違うので、最後まで人望はあまり得られなかったと思う。

立場上「総代」と呼ばれることが多かったけど、名前で呼んで欲しかったな…

 

現場に出るようになると、仕事中は巡査部長と常にペアで行動するようになるのだが、その部長との相性がよろしくなくて、そのストレスが体調に現れたので退職に至ったという訳だ。

あの人の俺の扱いは正直パワハラだったと思うが、辞めて1年以上経った今となってはもうどうでもいいや。

怒鳴られるより存在を無視される方が堪えるんだなー。

 

今でも不眠症は治っていないが、そのせいというべきか、そのおかげというべきか、傷病手当金が出るので、無職なのに収入があったりする。

それに甘えて1年以上経ってしまったけど、いい加減次の仕事を見つけないとな…